ネガティヴ・ソーシャル・コントロールを考える

私の本業は様々な悩みを抱えたユース世代をケアする仕事。ここ3年ほどずっとフォローアップしている20代前半のクライアントさん(ノルウェー生まれだが、移民・難民の2世)との関わりの中から、とても考えさせられた事があります。それは、「ネガティヴ・ソーシャル・コントロール」。ざっとググってみてみても、なかなか日本語ではヒットしない概念ですが、実はノルウェーや欧米ではかなり社会的に知れ渡っている現象なのです。今日はこちらのテーマでシェアしたいと思います。

ネガティヴ・ソーシャル・コントロールの意味、提議

さて、この現象・概念はどう定義されているのでしょうか?ノルウェーには国連を通じて、又は個人で亡命してくる方々のインテグレーションに関わる政府機関(Directorate of Integration and Diversity、通称 IMDi)がありますが、こちらでは:

”Negative social control is defined as pressure, supervision, threats or coercion that systematically restricts someone in their life and repeatedly prevents them from making independent choices about their life and future.” (IMDi のホームページより)
つまり、誰かの圧力、監視、脅迫、強制などによって、生活が制限され、人生や将来についての自主的な選択を繰り返し妨げられること…と定義されています。

ノルウェーでは80年代までは労働移住が比較的自由にでき、労働者不足に伴って多くの労働移民がアジアから入ってきました。その後も、労働移民政策が施行されたものの、アジア・アフリカ各地からの紛争に伴う難民の受け入れが行われ、さまざまな文化背景の移民・難民が混在しています。問題は、2世たちがノルウェー化していることで起こる家族内の対立です。特に、文化背景と並行して宗教的な背景も、ノルウェーの一般的な「何が普通か」ということから異なることが多く、社会的には多文化・多様性に配慮を示しつつも2世たちを保護するような動きがあります。
ノルウェーでも都市部と地方、など文化的にも違いがあるので一概に「何が普通」というのは言えないのですが、私が居る首都圏では 子どもがタバコを吸うのもすごく珍しい事ではないですし、アルコールや性的デビューも早いです。(詳しい資料はないのですが、だいたい高校生くらいでしょうか。)

何が起こっているのか

オスロでも同じ国・地域から移住してきた方々が集まって住んでいたり、または自然にコミュニティができています。オスロに住む日本人たちも、補習校(もともとは日本から家族と来た小学生などが日本の学校のレベルに着いていけるように開かれた土曜日のみの学校)を通じてなど、複数のコミュニティを作っています。
うちの事業所には、親との仲が最悪であったり、ネグレクトなどで精神障害や疾患を持ってしまったクライアントさんが来ますが、実際に背景を聞いてみると 移民・難民2世が目立って多いです。彼らが訴えるソーシャル・コントロールとはたいがいの場合、若い女性クライアントが被害を受けるケースが多く、父親・叔父・兄弟からの監視に始まり、彼女たちが例えば服装をトラディショナルなものに改めないと「売春婦」と罵られたり、ひどい場合は暴力行為もあります。ソーシャル・コントロールはコミュニティ単位でもあるので、「XX地域はコミュニティがあり、見張り役がいるので、住めない」といったこともあります。暴力行為に至っては、家族の名誉を損害するという理由で正当化され、ノルウェーでは「名誉に関連した暴力行為」と呼ばれています。
複数の女性クライアントから聞いた話では、まず女の子が一人暮らしをするのが理解されない。それから、結婚前に彼氏を作ることもご法度。あるクライアントさんは、家に親や兄が突然やってきて、家の中を検査するというのです。また、こうしたクライアントさんが大学に行ってキャリアを積むということも理解されません。特に家族の中の年上の男性陣から攻撃されます。また、ここ十数年ある現象として、欧米化する子どもたちに危惧した親たちが、親戚などを頼って子どもたちと一緒にアジア・アフリカ圏の国に引っ越してしまうというもの。(もともと国の紛争で難民として来た方々ですが、その近隣国に移ったりするケースです。)

ソーシャル・コントロールは日本でも

これらの具体例って、さながら100年くらい前の日本でもあったのではないか…と思いませんか?100年前までさかのぼらずとも、30年少し前の私の就職活動時代も、一人暮らしの女性は採用が決まりにくい、という話はありました。
先述のクライアントさんですが、彼女の話をよく聞いていく中で、実は他人事ではなく、自分自身もかつて体験していたことであった…と気づいてしまったのです。彼女の話は内容は多少違えど、私にもとても共感できました。いつも外見、服装などで批判され、家族に認めてもらいない辛さも…。もちろん、日本では家族の名誉のために娘さんに暴力を振る、あるいはそれがエスカレートしての殺人などは耳にしませんが、いまだに家族の中の男性陣(父親や長男)が一家のスタンダードを定義する権利があること。また、それにそぐわない行動をする者は制裁されてしまうこと。制裁… までいかなくとも、はやり非難を浴びたり、批判を受けたり。個人が持つ独自の考えや個性などは、認めてもらえないということですね。
もちろん、日本文化には良い所がたくさんありますし、それを非難するつもりもないのですが、こうしていわゆる第3か国(発展途上国)の現象と思われた ネガティブ・ソーシャル・コントロールが、実は自分の身近な場所でもあったのだ。日本は今では多様性を認める動きで寛容になってきている社会だと思いますが、こういった行為はもともと「当たり前」の様に存在していたのだ、とわかり、少し驚きでした。

まとめ

私は社会学者ではなく、こういった現象などをグローバルな視点から語るのは難しいので、身近な出来事から感じたことを書かせていただいています。ただ、今回のテーマ、ネガティブ・ソーシャル・コントロールは実は日本の社会にもかなり蔓延っていること。また、それにより傷ついている若い子たちが(かつての自分の様に)居るのではないか…という視点です。もしそうだとしたら、私からのメッセージはやはり自立して、そうやって自分をコントロールしている人たちから物理的・経済的な距離を置くことをお勧めする…ということです。私自身、ノルウェーという遠いスカンジナビアの国に来たことは、私をコントロールしようとしていた人たちや自分を否定するメッセージからの一つの決別でした。物理的に距離を置いたとしても、長い間受けたネガティブなメッセージは残ってしまうもの。要は自分を認めてくれる人たちが周りにいる環境を作り、「再生」を始めるのをお勧めしたいのです。再生…とは、自分は悪くはない、大丈夫、そして自分が受けてきた数々のネガティブなメッセージは単にコントロールしたい人が発信したことだ…と気が付くこと。
ただ、そうは言ってみても、実際はそれほど簡単ではありませんよね。クライアントの子もそうですが、誰でもやはり自分の家族とは仲良くしたい… その気持ちが葛藤になってしまうのは、とても理解できます。

今日はネガティヴ・ソーシャル・コントロールという、日常のクライアントさんとの関わりから出てきた現象についてと、自分が感じたことをシェアさせていただきました。この記事を読まれた方の、少しでも何かのお役に立てれば幸いです。最後までお読みくださり、ありがとうございました。

この記事を書いた人
may.juni

いがらしまゆみ。北海道出身。95年ノルウェーへ個人留学。貧乏学生時代を経て、現地で就職・結婚。20年以上のキャリアを持つ、ノルウェー公認ソーシャルワーカー。現在ノルウェー人夫とオスロ近郊で二人暮らし。日本人xノルウェー人カップルが持つ様々な問題・チャレンジに遭遇し、2018年にファミリーセラピーの修士課程卒業。現在、オスロ市で精神障害・精神疾患のユース世代の支援を本業とし、カウンセリングルーム・ハンブルネスは副業として従事。

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